アイドルの歌う「ラブソング」をどう聴くか(2)

以前、Berryz工房の「友達は友達なんだ!」の歌詞について、「恋愛の流動性が社会的に高まる中で希少化(≒「癒し」化)される友情」が描かれていると書いた*1。つまり、自由恋愛の流動的な関係性に疲れたらいつでも帰ることのできる、「癒し」の場としての「友情」がテーマとなっている。これは見方によっては、友情を称揚するために恋愛を相対的な立場に置いているとも言える。恋愛が流動的なものにすぎないという認識をあっけらかんと表現しているこの歌詞は、恋愛に対する過剰な美化やロマンティシズムを「お約束」とするアイドルのラブソングとしては珍しいのではないかと思う。
恋愛というものに対する冷めた視線はしかし、モーニング娘。の近作にもみることができる。「女と男のララバイゲーム」では、「恋愛とは付き合ったり別れたりを繰り返すゲームに過ぎないが、それでも恋愛せずにはいられない私」の姿が悲喜劇めいた調子で描かれる。この歌詞の主人公の恋愛に対する認識は「友達は友達なんだ!」とは比べようもないほど露骨にリアリスティックで、クールである。しかしこの曲では、そのような冷めた視線によって恋愛を相対化しきるのではなく、そういった否定的でニヒリスティックな視線を挟み込む、通過させることによって恋愛の神秘性をむしろ強化していると言える。つまり、恋愛における「運命」や「一回性」を否定しながらも、「それでも恋愛せずにはいられない」という、恋愛を前にした自分の制御不能の感覚を表明することによって、ロマンティックな幻想とは無関係に「私」を没入させる、非常な強度を持ったものとしての恋愛の姿を浮かび上がらせている。そしてこのような描き方もまた、恋愛に対して別種のロマンティシズムを呼び寄せる、神秘化の言説である。