『16人のプリンシパル deux』という試みについて

5月4日(土)の昼公演と5月11日(土)の昼公演、計2公演観た。

『16人のプリンシパル』について語るには、まず「キャスティング参加型演劇」というシステムについて説明しなければならない。*1
(※観た人や知っている人は読み飛ばし可)

公演は2幕構成。第1幕は公開オーディションの体裁をとっており、メンバー一人あたり数分間の演技審査が行われる。そのオーディションを見て観客は第1幕終了後の休憩時間に投票を行い、その結果選ばれたメンバーが第2幕で上演される演劇作品『迷宮の花園』に出演する。

『16人のプリンシパル』は2012年の9月に第1回が上演され、今回の『16人のプリンシパル deux(ドゥ)』はその第2回にあたるが、今回はこのシステムに若干の変更が加えられている。
前回は得票の多かった順番に自動的に配役が決まっていたのに対し、今回はメンバーがまず事前に自分が演じたい役に立候補し、観客は各々の役ごとに立候補したメンバーの中から一人を選んで投票するようになっている。立候補者の中からもっとも得票数の多かったメンバーがその役を演じる。選から漏れたメンバーも、得票順に上位6名が女中1〜6の役を演じる。

オーディションは、『迷宮の花園』の演出を務める江本純子がローズパープルと称して「天の声」で各メンバーひとりひとりに指示を出して行く形で進められる。審査は基本的に、メンバーが立候補した役の劇中のセリフを実際に演じる「実演テスト」と、その場で与えられたシチュエーションや指示に従って即興で演技する「アドリブ審査」の2つが行われる。
(説明終わり)


ローズパープルから淡々と与えられる指示を受けて演技を行うメンバーの真剣な表情が醸し出すオーディションならではの緊張感と、アドリブ審査で沸きおこる笑いの弛緩した感じが混然一体となって、独特の雰囲気に包まれたままオーディションは進行していく。また、演技審査で満足に自分を印象付けられなかったメンバーの悔しさは観客にも伝わってくるものがあり、ただ座って観ているだけの観客もどこか消耗して行く感じすらある。

審査を受けているメンバー以外の他のメンバーはステージ後方に横一列に並んで座っていて、その姿を観客は見ることができるのだが、それもこのオーディションの臨場感に厚みを持たせている。メンバーは演技審査の様子を観客と同じように真剣に見守り、あるいは一緒になって笑う。オーディションという場をステージ上のメンバーと観客席にいる私たちが共有しているような感覚。

ローズパープルによる演技審査では、セリフ回しだけではなく、身体の動きについても様々に指示が出される。そこでは基本的に身体を大きく使った演技が要求される。普段のライブにおけるダンスとはまた違った、演技という面でのメンバーの身体性が舞台上に表れる。

アドリブ審査がミニコントやキャラクター勝負になってしまって純粋な演技の審査から離れて行っているということは言えるかもしれない。*2そのために、前半の実演テストでうまい演技を見せてもアドリブ審査で笑いをとって観客に印象を与えられなければ得票が得られないというきらいはある。これについての評価はいろいろあると思うけど、あまりスポットライトが当たることが無いアンダーメンバーが自分をアピールする場に結果的になっていたことも考えると、このアドリブ審査の意義は思わぬところにあったとも。

そもそもアイドルの演技に私たちは何を求めているのか、ということも考えてしまう。一般的に、俳優は演技をする時、役者個人としての自分を消してその役になりきる(俳優の「個性」というものは本来の自分を消し去った上で表現される)。それに対してアイドルが演技をする時、見る者(とくにファン)は演技者としてのアイドルを作中の登場人物として見ている同時に、自分たちのよく見知った元々のアイドルの印象/キャラクターも共に見ている。一般的な俳優が本来の自分を消し去って「透明な存在」として役に入り込むのに対して、アイドルはどこか「半透明な存在」として、役に入り込みながらも元々のアイドルとしてのキャラクターを同時に見せている。今回のオーディションにおける実演テストとアドリブ審査という二重の構成は、アイドルの演技に求められるこのような二重性、半透明性とどこか合致しているように思えた。

しかし『16人のプリンシパル deux』が興味深いのは、メンバーが全くタイプの異なった複数の役を演じることで、メンバーのキャラクター性が解体、複数化されることだ。前回は得標数の順位に応じて配役が自動的に決まっていたため上位の役が花形で下位になるほど端役になって行くような明確な序列があったわけだが、今回は配役の間にそのような序列は無い。物語の中心的登場人物が確固としてあるわけではなく、それぞれのキャラクターがそれぞれの特徴的な性質を持っている。そのため、メンバーは様々な役を演じることでいままで見せたことのない新たな魅力を見せることができる。立候補制になったことも含めて今回のキャスティングシステムは面白い。

話は逸れるが、山下敦弘が監督した「君の名は希望」のミュージックビデオと今回の『16人のプリンシパル deux』には妙に共通、類似する部分がある。ミュージックビデオと舞台公演というメディアの違いはあれど、どちらも映画や舞台公演の本番に向けての演技のオーディションという形式をとっている。前者は架空の映画作品のオーディションの模様を追ったフェイクドキュメンタリーであり、後者は本番の演劇作品とセットで上演されるという意味でフェイク性を持った疑似オーディション。舞台裏や過程、メイキングを見せるということについて、どちらもリアリティの位相をずらすような興味深いアプローチを行っているように見える。

とにもかくにも、オーディションを舞台で上演し、観客が審査するという『16人のプリンシパル deux』の試みはアイドルと演技の関係について、またアイドルの魅力を引き出す興行のかたちについて、一つの新しい可能性を提示している。


分析的な視点で見ると、『16人のプリンシパル deux』はこのオーディションないしシステムについて語るだけでよい。というか、舞台上のアイドルを見ることの楽しさはオーディションだけで十分達成されているので、演劇(第2幕)の部分はおまけ程度のものでも成立する(実際前回の第2幕『アリス in 乃木坂』はそのようなものだったのではないか。実際には観てないので憶測で言っているのだが)。しかし、今回は演出家と脚本家の名前を前面に出しているだけあって当然おまけ程度のものにはならない。

演劇に詳しくない人間がイメージで語っているのを承知で言わせてもらうと、キッチュ、ナンセンス、グロ、メタといった所謂「小劇場系」演劇に多く見られるであろう要素が散見される作品だった。こういう「前衛的な」演劇は保守性やオーセンティシティが魅力の乃木坂と相性良くないんじゃないか、とか序盤は思ったりしたのだけど、物語が進むにつれてそれもあまり気にならなくなった。単純に一つの演劇作品として面白かったということだ。2回目の舞台公演にしてここまで作品として質の高いものを見せてくれるとは思わなかった。

自分の印象として演技がよかったと思うメンバーを挙げると、衛藤、桜井、橋本あたりか。とくに橋本の演技には驚かされた。深夜のヤンキードラマ*3でヒロインを演じる彼女にはあまり魅力が感じられなかったのだけど、家政婦の栄役を演じる橋本の鬼気迫る演技は素晴らしかった。

そんなこんなで第2幕も終了し清々しい余韻に浸っていると、2期生お披露目が始まった。大いに沸き上がるヲタたち。しかしそんな中私は、お披露目会の間の抜けた唐突さに、『16人のプリンシパル deux』〜『迷宮の花園』がたった今私たちに見せてくれた達成や高みが早々に断ち切られてしまったような感じがして、興が醒めてしまった。しかしこのような凡庸な典型的アイドル現場の光景こそが乃木坂46の本来の「日常」であり、それでいいのだ。お披露目会の後のミニライブで、ビートが強調されたアレンジのいつの間にかライブ仕様になっていた「君の名は希望」を聴きながら、そんなことを思った。

*1:以下も参照のこと。
ナタリー - 乃木坂46プリンシパル東京公演はドラマとハプニングの連続
16人のプリンシパル - Wikipedia

*2:東京公演の日程前半では、アドリブ審査があくまで劇中のセリフをローズパープルの指示に従ってオーバーにコミカルに演じさせたのに対し、後半では劇中の場面とは全く別のシチュエーションによる即興劇のようになっていた。

*3:BAD BOYS J