初めて乃木坂46のライブを見た感想

「NEXT ARTIST 乃木坂46」というアナウンスがスクリーンに映し出されるとピンチケどもの怒号にも似た歓声が沸き起こり、ペンライトとサイリウムの海が一斉に広がる。ステージへの集中を疎外するそれらの不純物に対して思わず不快感を催す。しかし、メンバーがステージに集結し、1曲目の演奏が始まると、耳障りな騒音や目障りな光り物は認識の埒外に追いやられた。
乃木坂46のメンバーたちを見る僕の眼は凄まじい集中力を得、まさに「観る機械」と化した。この時の自分の視覚の鋭敏さはアスリートが試合中に発揮するそれと同質だったように思う。むろん、傍から見れば僕は棒立ちしてステージを見つめるだけの怠惰な観賞者に過ぎなかっただろう。しかし、この時僕は視覚の上での全能感にも似た感覚を覚えずにはいられなかった。
自分の眼はステージとスクリーンの間を絶え間なく往復しながらメンバーの表情、ダンスの動きを見つめ続けた。それらはどれも瞬間的にしか認識できず、一つの表情を捉えたかと思えばそれはすぐさま別のメンバーの表情へと移り変わっていく。あるメンバーのあまりにも魅力的な笑顔に打ちのめされた次の瞬間にはまた別のメンバーの、やはり素晴らしい表情と姿態に打ちのめされるのだ。この怒涛のような視覚体験に僕は文字通り「パンチドランク・ラブ」な状態に追い込まれフラフラになってしまった(これはアホな表現である)。
楽曲や音楽の話をしようと思う。まず、自分はこのライブを見て、<楽曲派>という現代において音楽に対する先鋭な感性と知見を備えた者だけが称することを許された名誉ある身分を放棄しようと思った。自分がこれまでアイドルのライブや楽曲に接する際に拠り所にしていた審美眼が、このライブを見ている最中は露ほども機能しなかった。「アイドルが我々に感動を与えるのは、そこに音楽があるからだ」などとしたり顔で言っていた(実際は誰にも言っていないが)自分だが、このライブ中果たして楽曲が耳に入っていたかどうかは怪しい。メンバーの姿を目で追うことに一心不乱なあまり、音楽に意識を向ける余裕などなかったからだ。何より僕は口パクというものをこれまでずっと許せないでいたのだ。暴力的なまでに可愛く魅力的なアイドルの前では、音楽などというものは添え物以上の価値を持たないどころか、完全な死に瀕する。今回のライブで<楽曲派>気取りの自称「音楽通」の僕が至った結論である。*1
とはいえ、ここで強調してもしすぎることはないのだが、乃木坂46が現在までに残した楽曲群には、早くもクラシカルな風格さえ漂うほどのものがいくつも存在する。この点については、<楽曲派>モードの自分を再び召喚し、項を改めて論じたい。
パフォーマンスについての印象を。16人(このライブでの出演メンバー数)という大所帯での「歌と踊り」は、当然だがこの日登場したどのアイドルのパフォーマンスとも決定的に異質なものだった。自分の受けた印象を誤解を恐れずに言えば、北朝鮮か何かで将軍様のために演技する女たちや子供たちの舞踊を想起させられた。あるいは、自分が見たことのあるアイドルの中から類似したものを挙げるなら、制服向上委員会になるだろうか(そういえば制服向上委員会には「クルクル・ハンカチーフ」という曲がある)。ゆったりとした振り付けと、牧歌的な音楽性(今日のJポップの中では)、そして何よりも歌い手の個性を殺すような徹頭徹尾のユニゾン*2は、合唱や舞踊のお披露目会的な雰囲気を思い起こさずにはおれなかった。
誤解しないでほしいのは、乃木坂46のパフォーマンスが素人くさいとか北朝鮮みたいに胡散臭いということではない。おにゃん子クラブ以来、アイドルの素人臭さこそが日本的な独自性で……とかそういうことが言いたいわけでもない。強調したいのはそこではなく、僕は今回のライブで乃木坂46楽曲のダンス振付の巧みさを痛感させられた。個々のダンススキルを見せつけるのではなく、一つ一つが組み合わさった時に全体として大きくゆったりとしたダイナミズムが発生するような、あまりアイドルのライブでは見たことの無い類の振付だと思った。清涼感と少しばかりの懐古趣味を湛えた楽曲にとてもマッチした振付だ。その点は自分にとって価値ある発見だった。


と、ここまで色々と好き勝手書かせてもらったが、僕は別に、乃木坂46は他のアイドルと異質だから良い、ということを主張したいわけではないのだ。他のアイドルと比べてこういう点が乃木坂46は優れている、などということは僕には書けないし、そんなことはどうでもよい。
僕が今ここに記していることは、乃木坂46が素晴らしい理由ではなく、自分がとくに明確な理由もなくただ何かのはずみで好きになった乃木坂46が僕に与えた感動を書いているにすぎず、それは端的に独りよがりなものだ。音楽について語るということ、美について語るということ、愛について語るということにはどこまで行ってもそのような非客観性や独善的な感じがついてまわるのだろう。
僕は絶望している。自分が好きになった対象をいくら説明してもそれが閉鎖された趣味の共同体の中でしか説得力を持ちえないということに。「とりあえず一度体験してみればわかるはず」などということを言うつもりも無い。一般人にはせいぜい、「白石麻衣っていうすごく美人の子がいてね…、」と及び腰で話しかけるくらいが関の山だ*3。よく名も知らぬ誰かがツイッターやブログでアイドルについて思い入れたっぷりに語っているのを目にするにつけ、「気持ち悪いなあこいつ、死ねよ」と思うだけでその言葉が自分に何ら影響を及ぼすことは無かった。しかし、乃木坂46を好きになり、それらはすべて自分に跳ね返ってきた。死ぬべきなのは僕の方だった。
まあとにかく、美というものについて、このような認識を共有できない人とは芸術や文化の話をしたくない。

*1:まあこれは大げさに書いてるだけで、とくに「ハウス!」とか「ぐるぐるカーテン」とか「せっかちなかたつむり」とか、涙ちょちょぎれるくらいに胸に響きました。

*2:これも大げさに書いてるだけで「せっかちなかたつむり」のソロ歌唱とかは素晴らしい歌声でもう萌えまくりでした!

*3:実際自分が登場当時の乃木坂46について持っていた印象はほぼ白石麻衣の美貌に集中していた。