2010年9月25日『劇団ゲキハロ第9回公演「三億円少女」』(主役担当:嗣永桃子)@池袋サンシャイン劇場

11時30分開演の回。3列目で観賞。私は今回結局、桃子ちゃんが主役を演じた回しか見ることができませんでした。チケ代払ってちゃんと他の回も見るのが筋(?)でしょうが、ソフト化される際には是非ともメンバー全員分を収録してほしいです……。以下、思ったことなどを箇条書き。


・全体的にセリフが「リアルな日常会話」、現実に我々が話す言葉の内容とか調子の模写ではなくて、セリフ一つ一つに何かしら面白いフレーズとか独特の言い回しが込められています。そのせいか、登場人物たちが会話をしているシーンは単に登場人物同士の会話であるだけでなく、我々観客に向けての決め台詞の応酬であるような印象があり、常に芝居が高いテンションで展開されています。私も、「この面白いセリフ一つ一つを聴き逃さないぞ!」と意識を引きつけられました。
・桃子ちゃんの演技が本当に素晴らしかった。物語前半の、天真爛漫で蓮っ葉な感じが本当にまぶしかったし、後半、強奪事件に巻き込まれてからの一転して鬼気迫るような演技には鳥肌が立ちました。
熊井ちゃん演じる明美が本当にカッコよかった。以前映画『野良猫ロック』を観た際に主演の梶芽衣子さんが熊井ちゃんとダブって仕方なかったのですが、今回熊井ちゃんが演じた明美という役柄は、『野良猫ロック』において梶さんが演じた不良グループの女番長と非常に似ており、なんというか、空想が実現したかのようで胸ときめきました。
ハロプロエッグの二人も非常に存在感があり光っていました。宮本佳林ちゃんはその芸達者ぶりの片鱗を見せつけていたし、田辺奈菜美ちゃんは対照的にその初々しいセリフ回しや動きがいちいちかわいかった。この二人のコントラストは非常に楽しいのでまた別のかたちで見たいです。
・私が見た回では劇中その発言時に一番笑いが起きていたのは、風見“ハカイダー”利一だったのでは?あの存在感はすごい。彼は「人は無意識のうちに死を求めている」みたいなことを何度も言うのですが、このテーゼの本作における意味って何なのでしょうか。考えたのですがわかりませんでした……。
・物語のラストは、現在の一朗と42年前の一朗と42年前の純弥の三者の対話〜床下から現れた42年前の依子と現在の一朗が手を取り合って歩きながら依子が「故郷の空」を歌うという場面でした。言うまでもなく、これは(物語内の)現実ではありません。一朗の内面の世界、心象風景です。このラストには非常に物哀しさがあります。劇中、42年間ゆくえが知れなかった依子があの時の姿のまま突然現れたことに一朗は「生きててよかった」と泣いて喜びます。しかしその依子だと思われた少女は依子ではなくその孫の一希でした。一希は真実を告げたのち、一朗のもとを去ります。一希が去って取り残された一朗の心境が上記のラストであるわけです。一朗は、42年前の過去から再び切り離されてなお、42年前の世界に引きこもるような形で夢想するわけです。ここからは、一朗が今もなお42年前の事件に心を囚われていること、依子との別離の傷が癒えていないことがわかります。描きようによっては、今回の事件を機に一朗が過去の事件と決別するという前向きな結末もありえたと思いますが、この物語で一朗が迎える結末はそのようなほろ苦い、悲哀に満ちたものでした。
そのような悲しさを湛えた場面において、依子の「故郷の空」はそのような内実と裏腹に、非常に牧歌的に幸福なムードで舞台上を満たすのでした。この時の桃子ちゃんの澄み切った伸びやかな歌声に胸を打たれなかったものはあの客席に一人としていなかったのではないでしょうか。その歌の直後、突如として登場人物が舞台上に現れ大騒ぎ、純弥は三億円の札束をばらまきます。この唐突な幕切れ、強引とも思われる大団円。この「故郷の空」から大団円に至る場面には、悲しい場面をそのまま悲しいムードで描くのではなく、表面上は楽しげで幸福な雰囲気で描くことにより、それとは裏腹の悲しい内実が際立つという演出の妙を感じました。見事な幕切れです。泣きそうになりました。